ポジティブ列車くらぶ

わたしの自由帳。

車輪を降りる

 

夢の中で見た私は、実験中のマウスのように、車輪をひたすら漕ぎ続け、ヘトヘトになっていた。

 

だんだんと足がもつれ、動けなくなって、倒れ込むように車輪から落ちた。

 

じっと床の上で縮こまっていたが、暫くするとまた這いつくばるようにして、車輪へと戻っていった。

 

 

車輪の前には、パステルカラーで彩られた小部屋がある。

 

その中で、小さな女の子が、その様子を見つめている。

 

 

「あなたはいつも周りのことばっかりだね」

 

「だって、漕ぐのをやめたら生きていけないでしょう?」

 

「本当に?」

 

「だって見てごらん、みんな頑張って車輪を漕いでいるよ」

 

「それって誰のために漕いでいるの?あなたは幸せなの?」

 

「だって責任があるでしょ?お金はどうするの?人から変に思われるよ?ちゃんと漕ぐから信頼されるんだよ」

 

女の子は「こりゃだめだ」といった様子で、私の質問を無視し、折り紙を始めた。

 

 

 

車輪を漕ぎ続けることは『存在の証明』であったかもしれない。

 

ありのままの自分で存在していいと思えない。

 

自分の存在を肯定できない。

 

だから

 

『これができているから、私は存在してもいいですよね?』

 

『これだけのことをしているから、私は生きている価値がありますよね?』

 

たくさんの人に許可してもらえたら、満足するのだろうか?

そもそも誰に承認してもらいたがっているのか?

 

存在の証明をするための車輪は、永遠に漕ぎ続けなければいけない。

 

 

車輪を降りて、少女の元へ行く。

 

「ごめん。本当は私、どうしたらいいかわからないんだ」

 

少女は透き通った瞳で答える。

 

「簡単だよ。ただ車輪を降りればいいんだよ。そもそも存在してる時点で、証明なんてしなくていいんだから」

 

 

私は少女とともに小さな机に向かう。

 

彼女は折り紙を折り続ける。

 

私はへたな絵日記を描く。

 

彼女は歌いたい歌を歌う。

 

私は食べたいものを作って食べる。

 

 

小さな窓からは、たくさんの車輪が競い合うように高速で進んでいく姿が見える。

 

でも、焦る必要はない。

 

みんな1人1人、行きたい場所や個性は違うのだから、そもそも比べること自体が無意味だ。

 

 

 

私は止まった自分の車輪に、創作物をポンポンと投げ込んでみる。

 

車輪はカラカラと音を立てながら、それらを遠くに運んでいった。

 

私は車輪を追いかけない。

 

車輪は私の知らないところで、行きたい場所へと旅をする。

 

私はまた、目の前の机に向かって、創りたいものを創り出す。

 

旅に出たくなれば何処へだって行ける。

 

 

なぜか存在している自分。

 

その理由を必死に証明しようとしたり

 

弁解しようとしなくたっていい。

 

あなたはただ生きている。

 

生きることを肯定されている。